先日、1ヶ月の「戦績」とも言える給与明細を受け取りました。
封を切る瞬間、いつも少しだけ期待してしまいます。「今月は残業も多かったし、少しは増えているんじゃないか」と。しかし、そこに並んだ数字は、いつも通り、あるいはいつも以上に残酷な現実を私に突きつけてきます。

「……これだけか」
思わず言葉が漏れました。
私は「43歳にもなれば、もっと楽に、もっと豊かな生活が待っている」と疑わずに信じていました。 しかし、現実はどうでしょうか。 20年経って増えたのは、役職手当ではなく、「腰痛」と「膝の痛み」と「家族への責任」だけです。
削り取られた「自分の価値」
基本給を見てため息をつき、控除額(税金や保険料)の多さに言葉を失います。 私が1ヶ月、朝から晩までコンクリートの上を歩き回り、重い資材を運び、機械の騒音の中で神経をすり減らした代償が、この1枚の紙に収まってしまう。
「自分の1ヶ月の命の値段は、たったこれっぽっちなのか?」
そう考えると、情けなさと、拭いきれない焦燥感に襲われます。
娘たちの未来と、親父のプライド
我が家には、高2と中2の娘がいます。 来年は上の娘の大学受験です。パンフレットを広げて「ここに行きたい」とはにかむ娘の笑顔は、私の宝物です。
でも、そのパンフレットの隅に書かれた「入学金」「前期授業料」の数字を、この給与明細の「手取り額」と並べてみると、胸が締め付けられます。
「パパ、お金のことは心配しなくていいよ」
そんな嘘を、自信を持って言えるだけの強さが、今の私にはありません。 現場で無理をすれば、体はいつか壊れます。でも、無理をしなければ、彼女たちの選択肢を奪ってしまうかもしれない。そのジレンマが、毎晩私を苦しめます。
だから、私はこのブログを始めた
会社を恨んでいるわけではありません。 不器用な私を20年も雇い続け、家族を食べさせてくれたことには、心から感謝しています。
でも、「会社だけに自分の人生の価格を決められる」ことからは、卒業したい。
私の価値は、給与明細の数字だけではないはずです。 20年現場で耐え抜いてきた根性、家族を思う気持ち、そして今、こうして慣れないパソコンを叩いて未来を変えようとしている情熱。
このブログは、私の「第二の給与明細」を作るための挑戦です。 今はまだ1円にもなっていませんが、この指先から、娘たちの学費を、そして自分自身の誇りを作り出してみせます。
もし、同じように給与明細を見て「俺の人生、このままでいいのか」と一人で悩んでいるお父さんがいたら。 一緒に足掻きましょう。 会社以外の場所で、自分の価値を証明しましょう。
月曜日もまた、腰に湿布を貼って現場へ向かいます。 でも、私の心は、もうあの1枚の紙には収まりません。

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