工場のチャイムと、重い「鎧」の感触
夕方、工場の終業を告げるチャイムが鳴り響く。 ベンダー(プレスブレーキ)のメイン電源を落とすと、それまで工場を支配していた重低音が消え、代わりに耳の奥でキーンという耳鳴りが残る。
20年、この仕事を続けてきた。 作業着は油と鉄粉で汚れ、夏は汗で張り付き、冬はキンキンに冷える。 鏡を見るまでもなく、自分の顔が「職人の面構え」になっているのがわかる。眉間にシワが寄り、目は次のロットの精度を疑うように鋭くなっている。
このまま家に帰ってはいけない。 今の俺は、鉄を曲げることしか考えていない「ただの機械の一部」だ。この殺気立った空気感をまとったまま、高2と中2の娘たちが待つ玄関を開けるわけにはいかないんだ。
俺には、家までの「60分」という名の魔法が必要だ。
最初の20分:車内という名の「静寂の檻」
駐車場で愛車に乗り込み、ドアを閉める。 バタン、という音が外の世界を遮断する。 ここから俺の「儀式」が始まる。
最初の20分、俺はあえて音楽をかけない。 ただ、エアコンの風の音と、タイヤがアスファルトを叩く音だけを聞く。 工場内の100デシベル近い騒音の中で、俺の聴覚は疲れ切っている。この無音に近い時間が、脳にこびりついた「機械の唸り」を少しずつ洗い流してくれる。
信号待ちで、ふと自分の手を見る。 今日も指先は真っ黒だ。ベンダーの金型に挟まれないよう、神経をすり減らした指。 この指で、後で娘に頼まれたお菓子の袋を開けたり、妻が作った夕飯の箸を持ったりする。 そのギャップに、43歳の心はいつも少しだけ揺れる。
中盤の20分:コンビニのコーヒーと、パパへの「再起動」
家まであと半分というところで、いつものコンビニに寄る。 ここで買う一杯の100円コーヒーが、俺の「再起動ボタン」だ。
車を端のほうに停め、エンジンを切る。 コーヒーを一口飲み、スマホを開く。 そこには、家族のLINEグループに「今日のご飯、唐揚げだって!パパ早く帰ってきて」なんていう、なんてことないメッセージが入っていたりする。
それを見た瞬間、俺の眉間のシワが少しだけ緩む。 「あぁ、俺は職人である前に、この子たちの父親なんだな」 そう自分に言い聞かせる。
工場の納期や、さっきの曲げミスのこと。 若手に小言を言ってしまった後悔。 そんな「仕事のゴミ」を、このコンビニのゴミ箱に捨てていくような感覚で、俺はゆっくりと深呼吸をする。 60分という時間は、俺の心にある「油汚れ」を落とすために必要な、最低限の洗浄時間なのだ。
最後の20分:スピーカーから流れる「娘の好きな曲」
最後の20分は、無音をやめる。 あえて、娘たちが車内でよく流している最近の流行曲をかけてみる。 「何がいいのかさっぱり分からん」と思っていたはずの曲が、家の近くまで来ると、不思議と心地よく聞こえてくる。
この曲を聴きながら、俺は頭の中で「今日のパパ」のセリフをリハーサルする。 「テストどうだった?」「塾、送っていこうか?」 現場で若手に「角度が甘いぞ!」と怒鳴っていた声色を、できるだけ優しく、丸く調整していく。
鉄を曲げるのは得意だが、自分の心を曲げるのは20年経ってもまだ難しい。 それでも、住宅街の角を曲がり、我が家の屋根が見えてくる頃には、俺の顔からは「職人」の険しさが消えている。
玄関を開ける、その瞬間の「よし」
家に着き、エンジンを止める。 バッグを掴み、一回だけ、パンと自分の両頬を叩く。 「よし、パパだ」
玄関を開けると、そこには油の匂いも、鉄の冷たさもない、温かい日常がある。 「おかえりー!」という娘たちの声。 その声を聴いた瞬間、俺の「60分の魔法」は完成する。
もしこの時間がなかったら、俺は今頃、家族の前で「不機嫌な職人」のままだっただろう。 43歳、働き盛り。 俺たちはこうやって、自分の時間を少しずつ削って「自分を調整」しながら、大切なものを守っている。
明日もまた、朝になれば俺は「職人の鎧」をまとう。 でも、夜になればまた、あの60分の魔法が俺をパパに戻してくれる。 さて、明日の弁当のおかずは何だろう。 そんなことを考えながら、俺は今日も、家族の待つ(家)へと足を踏み入れる。

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